今日はマザーハウスでボランティアをします。
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シスターには7時に来てくれてと言われていたのですが
時計を見るともう既に6時45分です。
私は遅れてはまずいとコルカタの路地を一人猛然と走ります。
途中インドの男性が私に声をかけてきたので
振り向くと私のショルダーバッグから、ボールペンを落としていました。
私は男性にお礼を言って、ボールペンを掴むとまた走り出してマザーハウスに向かいます。
何とかマザーハウスに到着すると、時間は丁度7時です。
すっかり息が上がった状態でマザーハウスの中に入ると
驚く事に既に20人位の様々な外国人が集まっていました。
中にはアジア人も3,4人程居ました。
私はどうすれば良いのか解らず、とりあえず近くに居た大柄な50代位のフランス人に話しかけました。
すると我々ボランティア希望者は朝食である
"パンとバナナ"を提供されるとの事。
私はまだ息が上がっていて、貰ったパンとバナナとチャイは
しばらく食べる事が出来ませんでした。
フランス人の彼は
何でも10年前に1度ここに来た事が有るらしく
コルカタはほとんど変わっていないと言っていました。
私は彼にボランティアは何処でするのか聞くと、何でもここからは各自で
直接ボランティアをする現地まで、行かなければならないとの事でした。
私はてっきりここでボランティアをするのかと思っていました。
またスタッフによる説明も無く随分と想像と違いました。
と言っても良くある"ツアー"の類では無いので
こんなものなのかもしれません。
そして時間になるとシスターが来て
私は1日だけのボランティアなので
"ワンデイパス"(1日入館証)という
簡単なチケットの様なものを貰いました。
何でもそのワンデイパスがボランティア許可者の
"証明"になるらしいです。
そして何も分からない私は、フランス人と一緒に行く事にしました。
フランス人が道を良く覚えていないらしく
我々はサイクルリキシャに乗る事にしました。
5分程走って我々は近くのバスターミナルのような所に着きました。
我々は勘定を割り勘で払うと、フランス人の彼はは当たり前の様に
料金とは別にチップを渡していました。
それを見た私はヨーロッパ人に染み付いた
チップの習慣を垣間見た様な気がします。
バスターミナルからは徒歩でボランティアをする
"シュシュバウアー"と言う所に行きました。
フランス人の記憶を頼りに線路を渡って
階段を下りると、扉の所に到着しました。
施設の看板を見ると
MISSIONARIES OF CHARITY
事前施設の宣教師達
どうやらここがボランティアをする施設の様です。
場所は解りにくく、とても1人では来ることは出来ないと思いました。
するとシスターが来ました。
我々は"ワンデイパス"を見せると施設に入る事が許されました。
施設に入ってみると沢山の老人男性や
障害を持った男性が施設で暮らしていました。
そして既に何人かのボランティアの方々も来ています。
我々はまず入居者達の衣料の洗濯をさせてもらう事になり
フランス人と一緒に作業をしていると
途中からアメリカ人男性ともう一人の外国人男性がやって来ました。
どうやら女性のボランティア希望者は
別の場所に行っているらしいです。
洗濯作業の行程は大きなコンクリート製の四角い水槽の中に
白く濁った洗剤入りの水にどんどん衣料を入れて
両手で揉んで洗います。
そして今度は透明な水が入った水槽に
衣料を入れて再び揉み洗いする。
これがすすぎの行程です。
そして最後に衣料をコンクリートの台に押してつけて
水分を出して脱水します。
しかし我々は干す工程はしませんでした。
私はアメリカ人の彼と話しながら作業をして
中々楽しかったです。
アメリカ人の彼はとてもガタイが良く
アメリカ人らしい大らかな男でした。
洗濯作業をして30分程で終了すると
私は何をしていいのか分からずボーっとしていると
眼鏡を掛けたヒョロヒョロに細い、学生風の東洋人がいました。
私は彼に話しかけると、何と彼は日本人でした。
私は
「初めてで何をすれば良いのか分からない」と言うと
彼は
「……まぁ……おしっこを捨てるのとチャイを配る位です……」
と言って、急がしそうに片手に持ったお小水が入った容器を持って、小走りにぴょこぴょこと動き回っていました。
私は同じ日本人ながら、彼の
"詳しく教える気は有りません"といった態度に
ボランティア精神を持って遥々マザーハウスまで来ているという、かなり近い人間性の共通点が有っても
つくづく色々なタイプの人間が居るなと、内心がっかりしながら
フランス人が老人の顔を剃っているのを眺めていました。
そうこうしていると次は、施設の全員にチャイを配る作業が始まりました。
我々は少ない仕事を奪い取るように、チャイが入ったカップの束を、トレーに乗せて皆に配ります。
この時から既に感じていたのですが
我々外国人ボランティアは、ここには必要無い事が分かってきました。
施設には現地の男性スタッフが何人か常駐して居て
彼らスタッフは、我々に入居者に渡す為のチャイを
渡したり、作業を指示しているだけで
彼らが直接やった方が100倍高率が良いです。
ハッキリ言ってしまうと我々がやっている事はただの
"ボランティアゴッコ"でした。
先進国の人間の多くは、人の役に立ちたいという
善意の気持ちが育まれていると思います。
そこでここに来れば
その欲求をいくらかでも満たせる訳です。
でも現実には我々の作業は、元々居るスタッフの仕事を手伝っているだけに過ぎず
スタッフがいくらか休める程度の効力しかありません。
それもスタッフは、不慣れな我々外国人を
常に見ていなければならず
有る意味自分でやるよりも大変かも知れません。
私はチャイを配り終えると今度は休憩時間になりました。
我々はテーブルと椅子が有る休憩スペースに集まると
そこには我々以外の新たな外国人ボラインティアの人達が来ていました。
そこには女性も2人居ました。
恐らくこの施設内でも別の場所でボランティアをしているのでしょう。
我々はクッキーとチャイを頂きながら
外国人たちと色々な話をしました。
私は洗濯の作業で靴の中と靴下を濡らしてしまった為に
休憩中に脱いで乾かしていました。
15分程休憩をすると再び作業の時間が来ました。
今度は水と食事の配膳です。
内容は入居者全員に水の入ったコップを配ってから
その後食べ物をを配ります。
メニューは白いご飯に、ベジタブルカレーという
極めてシンプルなものでした。
ボランティア参加者全員で手分けして
全員に食事と水を配り終えました。
中には食事補助して食べさせて上げる必要の有る人も居るので
私も10分程食補助を行いました。
これはとても貴重な経験でした。
そして今度は食べ終わった容器の回収です。
それを再び全員で手分けして行います。
これが終わると、この日の午前中のボランティアは終了との事でした。
時計を見るともうお昼を回っていました。
一般的なツーリストはここで皆帰るらしく
私も皆に付いて行く事にしました。
どうやらマザーハウスまで今度は徒歩で戻る様でした。
途中、一緒だった例の眼鏡の細い日本人と
ガタイの良いアメリカ人と会話しているうちに
3人で一緒に昼食を採る事にしました。
そして聞くところによるとアメリカ人の彼は
これからサウジアラビアに行って、英語の先生をするのだとか。
しかも生徒は向こうのパイロット達ということ事でした。
パイロットには世界標準語の英語は必須と言う事でしょう。
旅先でのこういった交流はいつでも楽しいです。
またつくづく英語の必要性を強く感じる場面でもありました。
我々は食事を終えると解散しました。
私はボランティアの洗濯作業で、ビショビショになったレッドウィングのシューズを私は早く乾かしたかったので
私は通りにある露店でサンダルを買ってすぐに履き替えました。
その日は自分でも驚く程に疲れていて
何と夕方から朝まで寝てしまいました。
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