さてバジャウ族の取材も10日程が過ぎました。
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このバジャウ村に住む日本人
松田 大夢(マツダ ヒロム)さんが、日本からバジャウ村に帰って来たという事なので
本人に会って取材を申し込みします。
ヒロムさんの住居は海上のバジャウ村に位置しており、3階建ての一際大きい住宅兼ゲストハウスになっているとか。
私は早速行ってみるとヒロムさんの居る3階には、バジャウの友達や日本人の友達等、沢山のお友達が居て、部外者の私は彼らの輪を乱してしまう様で、何だか気まずい空気の中
ヒロムさんに話しかけると、彼は今風の若者らしく
ノートパソコンをしながら、こちらを殆ど見る事も無く
私は一応自己紹介して、取材したい旨を伝えると快く応じてくれました。
私も彼に取材に際して何の謝礼もしていないので、別に彼が私の様な部外者を歓迎する理由も無いのですが……。
ヒロムさんの家はバジャウ村の中では最も大きい家で
ゲストハウスとしても運営されている様です。
初めて会うヒロムさんはとても自然体で、バジャウ族らしく常にリラックスしていました。
聞いてみるとこの家は、2度目に建てた家で始めに建てた家は台風で流されてしまったとか
それで知り合いの実業家の人に資金援助してもらい、コンクリート製の基礎を作って、丈夫な3階建ての、この家を建てたという事でした。
始めに建てた家も、クラウドファンディングで集めた資金を元に建設したという事で
本来であれば、若い青年の彼にはとても難しいはずの住居の建設という、非常にハードルが高い事を、他社の助けを借りて達成してしまう彼には
人並外れた才能が有ると言わざるを得ません。
彼は元々何の伝手も無いセブのバジャウ族の住む村に、1人でやって来て
バジャウ族のデンジさんと仲良くなり、バジャウ村に滞在しているうちに、バジャウ族の女性と結婚して、住居を構えるまでになったという事でした。
話を聞いている中で、私が感じたのは
彼の持っている並外れた行動力、勇気、発想力
そして恐らく彼の最大のストロングポイントだと思われる
人を味方に付ける天性のキャラクター性。
取材前に彼の事を少し事前調査しましたが、やはり
彼には人を惹きつける、不思議な魅力が有るようです。
そして驚く事に彼はまだ若干24歳です。
日本で言えば大学を卒業後、就職して2年目の
まだ若手の会社員という年齢です。
彼には既にバジャウ族の奥様と
息子さんが1人いらっしゃいます。
私よりも15歳も若い青年が、既に私の目標の
海外移住と家族を持っているという現実に、私は素直に彼に人間として完敗した様に感じました。
奥様は若くて綺麗な女性で
何と英語を流暢に話す事が出来ます。
(シャイマさん)
ヒロムさんに会う前に、シャイマさんに1度お話させてもらいました。
シャイマさんによると、生活資金などの面はヒロムさんがちゃんと支えてくれていて、満足しているという事でしたが
ヒロムさんはビジネスや友達との付き合い等を、優先していて妻としては寂しいとも仰っていました。
ヒロムさんも大黒柱として、家計を支える為にビジネスに集中しなければならないのでしょう。
この辺りは、バジャウ族も日本の夫婦も同じ様な問題を抱えているのは、とても興味深いと感じました。
また近所のバジャウの方々は、シャイマさんの事を
日本人と結婚したので、凄いお金持ちに成ったという様な
誤ったイメージを持たれているとか。
周りの人から見れば、嫉妬心が生まれるのも無理も無いのかもしれません。
引き続きヒロムさんと
バジャウについて話していきます。
私はヒロムさんの考える
バジャウの展望について伺いました。
ヒロムさんによると、積極的にバジャウ村をビジネス化したい訳では無く、ここでのんびりとスローライフを過ごしたいと仰っていました。
もしここで遮二無二ビジネスに奔走してしまっては、折角バジャウ村に来て、豊かなスローライフを送りに来たのに
日本の脂ぎった実業家の様に、お金儲けに走り過ぎると
毎日忙しくなって本末転倒になってしまうと。
私はこれには少し驚きました。
私が抱いていたヒロムさんの印象は、バジャウ村を観光化して大きなビジネスを作りたいのかと思っていました。
次に私は独自にバジャウ村の人達を取材した中で、テレビで見たヒロムさんの、バジャウ族のヒーローみたいなイメージは、かなり誤解されている側面も有ると感じていたので
ヒロムさんに対してその事をハッキリ聞いてみました。
するとヒロムさん曰く、やはり自分にはバジャウ族の将来を考える様なオピニオンリーダー的な感覚は無く
(ただこのバジャウ村で、自分の好きな様に生活したいだけなので……)
という事を仰っていました。
テレビではヒロムさんが貧しいバジャウ族の人達を支援しているという、ボランティア的なイメージを強く打ち出しますが
実際にはヒロムさん自身が積極的に、バジャウ村の貧困問題に対して取り組んでいる訳でもなく
自由にバジャウ村で生活しているという事でした。
ただ実際にヒロムさんが催行しているバジャウツアー等で
バジャウ族の方が仕事を得たり、バジャウ村に来た日本人に、バジャウ族の方がアクセサリー販売したりする事で
二次的にバジャウ族の方に現金収入が発生するので、副次的な意味でのバジャウ族に対する貢献は見られます。
またヒロムさんが仰っていた事で意外だったのは
バジャウ族の事を最もよく知っているヒロムさんが、4年間バジャウ村で生活してきて思ったのは
そもそも我々が思っているより
「バジャウ族は貧困では無い」という事でした。
これには私は非常に驚きました。
セブのバジャウ族=貧困
という構造は完全に出来上がっていたので
この大前提が崩れてしまうと、バジャウ族のイメージが大きく変わってきます。
またヒロムさんの言う事を裏付ける様に、私が取材していく中でも
飢餓に苦しむ様なバジャウ族の方は居ませんでした。
なので実際のバジャウ族の方々は
船を作ったり
漁に出て魚を捕ったり
物乞いをしたり
村の外に出て仕事に行ったりして
自分たちが生きていく位の事に関しては、問題は無い様でした。
恐らくフィリピンのパヤタス・ダンプサイトにある
スモーキーバレー(ゴミ集積場)
で働いているフィリピン人の方が
遥かに貧困で、窮迫性のある問題を抱えていると思います。
それでも日本人から比べれば、バジャウ族は相対的に
貧困に映るかもしれません。
ただ誤解されてはいけないのは、バジャウ族の方々の経済的状況を変革するという事は
即ちバジャウ族の文化を、破壊するという事でもあるので
近代化 = 善
昔ながらの生活 = 悪
という一方的な考え方は危険な発想です。
彼らは昔から漁に出て魚を捕って生きてきました。
それを我々が偉そうに自分の価値観を押し付けて
バジャウ族の人々を学校に通わせて、会社員に仕立て上げたところで
本当に彼らにとって幸せなのかは分かりません。
私は今回バジャウ村に来て貧困層と言われている人達に対して、ボランティアや支援する面と
文化の保存やアイデンティティ等、少数民族の文化を維持するという面と
相反する面を持った事柄に対して、我々はどういったアプローチをするべきなのか
早計に判断はできないと実感しました。
その他に、ここバジャウ族のエリアに近い
SMシーサイド付近の開発計画が大きく進んでいて、今後沢山の商業施設や高層ビルが建つ予定です。
またこの開発計画は日本のODA(政府開発援助)も関わっています。
具体的にはSMシーサイド付近は、日本のODAで埋め立てられて道路が敷かれました。
そのSMシーサイドを扇状に囲うように、ホテルやコンドミニアム、会議場等々沢山の施設を建設予定です。
これらはSMシーサイドシティと言われる施設群となります。
そういった大きな開発地域となっているセブで
少数民族であるバジャウ族が、海上生活を続けていく事について
ヒロムさんはフィリピン政府がバジャウ村の存在を、良く思っていない事に付いても触れていました。
フィリピン政府からすると、ミドルクラスや富裕層を呼び込む計画地域に、スラム街が頓挫しているのは、
景観的にも治安的にも良くないと考えているそうで、もしかすると近い将来バジャウ族を全員別のエリアに定住させる計画が持ち上がる様な、可能性について言及していました。
そしてもしかすると、このバジャウ村は後10年位したら
無くなってしまうのではないかという、危惧もされていました。
今回の取材で分かった事は
バジャウ族
フィリピン政府
IRIS
ヒロムさんと日本人コミュニティ
と大きく分けて4つの独立した意思が
様々に絡み合っているという事でした。
※ 2023年時点でヒロムさんはバジャウ族のコミュニティでは生活しておらず、奥さんだったシャマイさんとは生活していないようです。
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