さて今日はホテルの従業員ラジャスターンと一緒に
ジャリア村のバーニングエリアに行く予定です。
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私はゲストハウスのマネージャーに、ラジャスターンが何時に私を連れて行ってくれるかを聞くと
彼が言うには4時頃との事でした。
そして何度かプレスに顔を出している内に
昨日のジャーナリストの彼が出勤してきました。
ホテルのマネージャーと話していると、なんと今フランス人が2人バーニングエリアを見に来ているとの事でした。
私以外にもこんな所に来る外国人が居る事に驚きです。
それまでかなり時間があったので、再び昨日のラッシー屋のロニーの所に顔を出しました。
「ロニー! バナナラッシーの用意はできたか?」
と聞くと、ロニーは一瞬上を見ると数分待ってくれと言う。
私は冗談まじりに
「何で私の名前は覚えているのに、バナナラッシーの事は忘れているんだ」
と言うとロニーは苦笑いしてやはり
「数分待ってくれ」と言って、部下にバナナを買ってこさせてバナナラッシーを作り始めました。
彼は
「ミキサーが無いから容器に入れて棒で混ぜる」と言って作ってくれました。
味はまあまあでしたが、ロニーには親指を立てて美味しい旨を伝えると、インド人特有の首を横に曲げる仕草で答えてくれました。
そしてロニーは私に次々と知り合いの少年や青年達を、私に紹介してくれました。
何でも、ロニーの家族や友達だとか。
その中にはロニーの父も居たのですが、父親にしては思いのほか若いのに驚きました。
恐らくまだ50代前半といったところです。
そしてロニーは私に
「結婚をしているのか?」と聞いて来たので、私は
「独身だ」と言うとやはり不思議そうな顔をしています。
この対応には本当に慣れっこになっていた私は、外国人と結婚したいと言うと
ロニーは
「インドでは国際結婚は難しいよ」と、本当のインド人の感覚を教えてくれました。
インドは極めて保守的な文化なので、外国人との結婚は非常に難しいです。
またインドは未だに親が結婚相手を決める慣習があり
恋愛結婚自体がまだ難しい様です。
(現在は恋愛結婚が徐々に増えています)
私はロニーにお昼を食べに行く旨を伝えて、昨日と同じ中級レストランでタンドリーチキンを食べました。
そして部屋に戻ってくるともう3時位になっていました。
部屋でのんびりしていると、誰かが部屋をノックしたので、ドアを開けてみると
何とあの"新聞社のジャーナリストの彼"でした。
彼は
「今から行くぞ」と言います。
急遽まだ明るい時間に行ける事に私は喜んで、すぐにショルダーバッグと帽子をかぶって、早速ジャーナリストについて行きます。
我々はゲストハウスを出ると、ラジャスターンが既にバイクに乗って待っていました。
ラジャスターンは革ジャンを来ていて、随分とワイルドな雰囲気に変わっていました。
ジャーナリストの彼は
「バイクの後ろに乗って行きなさい」と言ってくれました。
私は後ろに乗るとバイクは5分程走って、あっけない位すぐにバーニングエリアに到着しました。
着いてみると、サングラスにやけに大げさなマスクしたフランス人女性と、五十代くらいのフランス人男性が既に来ていました。
彼らは白い車に乗った別の男がガイドらしく、五メートル程の小さな石が積まれた山の様な物に、上って良いかと許可を得ようとしていました。
ガイドには危ないから駄目だと言われていました。
私はすぐにそのフランス人2人が随分と、とんちんかんな事をしているように見えてなりませんでした。
何故ならここは地面からガスと炎が噴き出していて
その近隣には村人が移住を余儀なくされたり、昔ながらの生活を営んでいるという、極めて特異な現実が有るのにも関わらず
石を積んだ山に登ったところで、何の意味が有ると言うんでしょうか。
そして同行している女性が装着しているマスクは、まるで防毒マスクみたいな代物で、はっきり言って完全に過剰反応です。
現地のインド人はマスクも眼鏡もしていないのですから。
まあ私とはまた違った視点でジャリアのバーニングエリアを見たいのだから、それはそれで良いのですが。
その場所は3メートル程の炎が常に揺らいでいました。
驚いた事に本当に地面の割れ目から炎が噴き出ています。
そしてその近くにも
2カ所小さな1メートル程の炎が吹き出しています。
炎の近くに行ってみると
"ゴウゴウ"という燃焼音が聞こえます。
私は何枚か写真と動画を撮り終えて
一応ラジャスターンに許可を取って、すぐに村の方に一人で歩いて行きます。
ラジャスターンは着いて来なかったので、ガイドをする気はないのだろうとすぐに思いました。
ここまで来たら、村を取材する事しか私の頭にはありませんでした。
ずんずんと村を進んで何人かの村人に出会って挨拶してみると、ここの人達はフレンドリーではありません。
よそ者が自分の家の近くを歩き回っているのだから、面白くも無いのは当然でしょう。
私はなるべく失礼の無いように村を歩いて回りました。
すると一人の若い男が、赤いシャツを着ながら私のところに来ました。
私は彼に挨拶すると、何と彼は英語を話す事が出来ます。
私は正直このバーニングエリアの村人で、英語を話す人は居ないと予想していたので嬉しい驚きです。
そして私は彼に「この村の現状を知りたい」と言うと、彼は色々と話してくれました。
何でも村人の中には既にブルガリアという別の町に移住した人も沢山居るとの事。
しかし中には経済的な理由で、移住できない人も居るそうです。
話していると彼は
「私も一緒に同行していいか?」と聞いて来たので、私は
「もちろんだ」と快諾して、我々は一緒に村を見て回る事が出来ました。
気が付くと彼はすっかりガイドをしてくれていました。
ジャリア村に住むアナン氏
ちなみにインドの観光地では、こういうガイドはまずい状況ですが、今の私にとってバーニングエリアを調査する事が出来れば、ぼられてもおつりが来る位嬉しい状況でした。
我々は随分と村を見て回りました。
池の付近では村の人達が、予想外に平和にのんびりと暮らしている事も分かりました。
ジャリアの子供達
また実際に地割れで住めなくなっている地域を、確認出来ました。
廃墟の様になっている家もありますが
まだ住んでいる村人も結構います。
何人かの子供達にチョコレートをあげたりもして
駆け足でバーニングスポットを見ました。
気が付くと当たりは暗くなっていて、もう17時になろうかという頃でした。
私は急いで元来た場所に戻る為に彼に道案内してもらって
私は彼に「お礼に」と言って
チップ50ルピーを手渡すと彼は喜んでくれました。
そして元来た場所まで来ると、辺りは既にライトが無いと前が見えない程暗くなっています。
そして私を連れて来たラジャスターンは、陰も形も無くもう帰ってしまっていました……。
私は地図も持っていなく、ここがどこだかも分からないので完全に途方に暮れてしまいました。
私はガイドをしてくれたアナンに話すと、彼はバイクを持っていてゲストハウスまで送ってくれる事になりました。
私はアナンがバイクを持っていた事に驚きました。
結局私は彼のバイクに乗って送ってもらう事にした。
途中彼はガソリンスタンドに寄ると
「50ルピーくれ」と。
流石にこの状況では払う一手しか無いので、渡しました。
給油を終えると私は、何とかゲストハウスまで帰る事が出来ました。
そしてそこでガイドのアナンは明日もガイドをしてくれると提案して来ます。
私はもう一日滞在を延ばしてお願いする事にしました。
アナンとは明日の朝8時に、ゲストハウスまで迎えに来てもらう事で約束をして別れました。
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