インドの燃焼地帯 1 ジャリア編

いよいよインドの燃焼地帯が在る

ジャリアに到着しました。

 

とりあえず地図とゲストハウスを探します。

 

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インド 燃える大地ジャリアへ 移動偏

 

歩いていると若い青年2人が、私を珍しい生き物でも見るかの様に見ています。

私は彼らに

「ジャリアのマップはどこで売っている?」

と話しかけると、その青年達は

「バイクに乗りな」と言います。

 

さすがにこの展開は予想していなかったので、一瞬躊躇しました。

 

彼らはどう見ても悪人には見えないので、私は彼らのバイクに乗って本屋へ向かいます。

 

本屋に到着してマップを探したところ

結局ジャリアのマップは有りませんでした。

 

再びバイクに乗ると今度は青年達が

狭い住宅地をくねくねと抜けて走って

石炭の採掘場を見下ろせる場所に連れていってくれました。

これがジャリアの炭鉱地帯です。

 

大地が大きく窪んでいます。

穴の中はいくつか炎が出ているのが見えます。

 

ジャリアに着いて僅か5分で

私は目的地で有る燃焼地帯に来てしまいました。

 

私は感激して青年達にお礼を言うと

彼らもここが特別な所だというのは、分かっているようでした。

少年達の希望で写真を撮りました。

 

しばらく炭鉱地帯を眺めていると、小柄の方の青年が

タバコを買いたいから10ルピーくれと言って来ました。

 

私はちょっとビックリして「オーケー」

と言ってあげようとすると、背の高い方の青年が私に

「払わなくて良い」と言ってくれます。

 

すると小柄の青年は諦めたようで

再びバイクで走り始めました。

 

そして我々は達はガソリンスタンドに着くと

再びさっきの小柄の方の青年が、今度は20ルピーを払ってくれと言います。

 

しかしもうの背の高い青年がやはり
「払わなくて良い」と言って、自分で払っていました。

彼らは中々良いコンビだなと思いました。

 

我々は再びバイクで走ると、最初のメインロードの通りまで戻ってきました。

背の高い青年は「もう帰る」との事。

 

私は「マップは無いの?」と聞くと、青年は

「無い」との事。

私は彼らにお礼を言って分かれました。

 

何だか展開が早すぎて良く分からずに

再びゲストハウスを探します。

 

地図も無いので自分がどこに居るのかも分からずに

ただゲストハウスが有りそうな、場所を歩いてはインド人に聞いて回りました。

 

ジャリアの人は外国人がとても珍しいらしく、皆一様に驚いた様子で私を見ています。

 

結局メインロード沿いに(ROGGHE)

というゲストハウスが見つかりました。

 

早速値段を聞いてみると(600ルピー)

 

私は驚いて「600ルピー! 高い!」

と言ってもう一人の従業員を見ると、その従業員はディスカウントしろと手で合図してくれます。

 

結局(350ルピー)で価格は決まりました。

 

とりあえず宿が決まって私はホッとして

ゲストハウスに居る英語が出来る男を見つけて、相談してみます。

 

すると男は「石炭採掘会社の許可をとっているのか?」

私は無いと言うと「それでは不可能だ」との事。

 

私は何とか他に方法は無いかと相談すると、ゲストハウスのフロントの男が、新聞記者を紹介してくれると言います。

 

私は喜んで場所はどこだと聞くと、男は

「ここに有ると」言って指差したのは、なんとこのゲストハウスの中にプレス(新聞社)が有ると言う。

 

驚いた私はいつ紹介してくれるんだと言うと

「少し待ってろ」言われてしばらく待っていると

ホテルのフロントが事務所に案内してくれました。

 

事務所に入るとそこには眼鏡を掛けた

いかにもインテリそうな男を紹介してくれます。

彼はとても流暢な英語を話します。

今は忙しいので夜の10時を過ぎてから来てくれとの事。

 

そう言いながらも電話をしたりパソコンを操作して

確かに急がしそうです。

 

私は10時にまた来る旨を伝えると

それまでの間ジャリアの町を散策する事にしました。

 

 

そしてゲストハウスのすぐ左側にラッシー屋が在ったので

ラッシーを飲みながら、店の主人であるロニーと仲良くなる事が出来ました。

ラッシー屋のロニー。

ジャリアでは数少ないラッシー屋。

 

彼の英語はかなり早くて私には聞き取るのが大変です。

何でも外国企業のコールセンターで働いていた事が有るとかで、完璧なレベルの英語です。

 

彼は外国人である私に興味を持って随分と色んな話をしました。

 

私は

「ニューデリーで飲んだバナナラッシーが飲みたい、何でバナナラッシーが無いんだ」と言うと、彼は

「分かった明日の十一時過ぎに来てくれ」との事。

何でも用意してくれるらしいです。

 

 

私はその後、ちょっと良いレストランに入ります。

 

チキンヌードルスープを頼んだら

出て来たのは何故かほとんどチキンスープでした。

 

ラッシーも頼みました。

 

食事を終えて、町のバザールを散策します。

ジャリアの人々は特筆して人が良く、外国人に対して免疫が無いように感じます。

 

私を見ると驚いた顔をして、私が挨拶すると握手を求めて来ます。

 

これまで出会ってきた観光地のインド人と違い、何の目的もなくただ純粋にコミュニュケーションを取りたい様です。

 

とくに子供は素直で私が挨拶すると、近くに来て

まるで芸能人にでも会ったかの様に、目を輝かせて喜んでいます。

 

この初日だけでも恐らく30人位と、握手をしては挨拶をしました。

 

私は部屋に戻るとまだ7時半位で、疲れていたのかベッドに横になると既に眠ってしまっていて、起きると既に10時40分になっていいました。

 

予定していた10時を過ぎてしまい、私は慌ててプレスに行くと

新聞記者の彼は「後30分経ったら来てくれ」との事。

 

夜の10時を回っているというのに、まだ仕事をしている彼は随分忙しい様でした。

 

そして再び30分後に行くと彼は

「隣に座って」と言ってやっと自己紹介をしてくれました。

 

彼はジャーナリストでここはインドのプレスだという事でした。

彼は始めに私にいくつかの質問をしました。

 

まず彼は私に

「どこから来た? 何がしたいんだ?」

と聞かれたので私は
「BBCのドキュメンタリー番組を見てここに来た。そして今のジャリアの状況を知りたい」と答えました。

彼は冷静に私の話を聞いて、パソコンでジャリアのバーニングエリアの写真を見せてながら、ジャリアの情報を色々と教えてくれました。

 

するとこの地域には5つの村に

バーニングエリアが有るという事が分かりました。

 

 

彼はその5つの村の名前をメモしてくれて

そのメモを私にくれました。

 

そしてしばらく話をして、このホテルのスタッフで

ラジャスターンと言う男が、バーニングエリアの出身で

明日あなたを連れて行くように話しておく、と言ってくれました。

 

私は彼に礼を言うと、いよいよジャリアのバーニングエリアに行ける事にわくわくして来ました。

 

 

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