中国旅行記 西安 4 秦始皇帝陵博物院偏

さて西安も4日目です。

 

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中国旅行記 西安 3 華山偏 後編

 

今日はあの秦始皇帝陵博物館に行きます。

 

通称"兵馬俑"(へいばいよう)

と言われています。

 

秦始皇帝陵博物館は1974年に

農民が畑を掘っていて石造りの人形を偶然に発見した事から

生まれた博物館で

2000年以上前の紀元前に中国を統一した

秦王朝が作ったと言われている8000体の石造群です。

 

この博物館は世界遺産にも登録されていて

中国の中でも恐らくは1、2を争う程の

貴重で重要な文化遺跡です。

 

博物館に行く前に本日の朝食と採る為の

お店を探します。

まずは今日の朝食はここで採ります。

今日はちょっと変わった料理を注文しました。

汁なしの中華太麺です。

う、うまい!

中国料理の奥深さは底知れません。

 

中国は料理だけをとっても

1カ月間滞在して調査する価値が有ると思います。

 

という訳でバスに乗って

秦始皇帝陵博物館へ行きます。

 

バスは西安駅の近くに在るバス乗り場から出ています。

 

兵馬俑秦始皇帝陵博物館行きです。

 

バスを探していると日本語を話せる誘導員の方がいたので

少し話をすると何でも日本に3年間も居たとか。

 

彼は日本語が上手でとても親切で

私にミネラルウォーターをくれました。

それにしてもここまで3週間位中国に滞在して

遭う中国人はみんな親切で親日です。

 

日本のメディアが報じてる反日の中国人は

いったいどこに居るのでしょうか?

 

まさかあの反日報道は捏造なのか?

 

いずれにしてもテレビの報道を鵜呑みにするべきではないようです。

ステレオタイプな人間にならない様に注意しなくては。

 

そんな事をふと思いました。

 

 

という訳でバスに乗ってすぐに到着しました。

流石に世界遺産です。

観光客が沢山来ています。

 

チケットを購入すると

博物館の中国人ガイドが何人かいました。

 

ガイドは中国語、英語、日本語と様々です。

 

私は日本語のガイドの方を依頼しました。

 

何とこれらの人形は2000年前の物だという事です。

当然の事ながら一体一体がハンドメイドですから

途方も無い労力で作られたと考えると

秦始皇帝の権力の強さが分ります。

ガイドの方曰く

一体一体の顔も全部違うというから

驚きの連続です。

兵士は身長178センチ位あり

当時の精鋭揃いとの事。

人形の材質は陶磁器という事です。

 

なので粘度を固めて焼いて作ったという事です。

 

2000年以上も前にこれだけ精巧に

陶磁器を作れたと考えると中国人の技術力の高さを感じます。

 

この馬車は陶磁器製では無く

青銅で作られていて銅馬車と呼ばれているとか。

 

なのでこの銅馬車は秦始皇帝が

力を入れて制作したという事でしょう。

間近で見ても

2000年以上も前に作られたものとはとても思えません。

土の中に眠っていたので劣化を免れたのでしょうか。

 

そもそもどういう経緯でこれだけの

貴重で大規模な製造物が畑の中に

2000年もの間眠っていたのかわかりませんが。

 

秦始皇帝陵博物館を見終えたので

近くに在る秦始皇帝陵遺址公園に向かいます。

 

 

ここから無料のシャトルバスが運用されているので

それに乗って行きます。

 

すぐに到着しました。

 

ここの通称は秦始皇帝陵と言います。

広大な所です。

秦始皇帝の墓として作られたとか。

ここは広い割には見どころが少ないです。

沢山のツアーの方々です。

ちなみにこの秦始皇帝陵の地下には

広大な地下宮殿が有ると言われています。

 

それなのに発掘の予定は無いそうです。

 

何故なんだ……。

 

 

それにしても中国史は非常に奥深いです。

 

4000年もの間この広い中国大陸の領土を巡って

様々な民族が殺し合いを続けていたと考えると

人間の歴史とは争いの歴史と言っても過言ではないでしょう。

 

また中国は19世紀の近代になると今度は

イギリス、ロシア、フランス、日本と

その広大な中国の大地を巡って列強国と戦火を交える事になります。

 

ただ当時の中国は現在の中国と違って

1つの国では無く

東トルキスタン、チベット、モンゴルに加えて

漢民族自体も蒋介石と毛沢東の2大勢力が内戦状態になっていて

大きく分けて5つ以上の勢力が中国の大地で鎬を削っていました。

 

なので中国史とは現在の中国を想定してしまうと

正確な中国史を捉える事が出来ません。

 

現在の中国で考えてしまうと

列強国が加害者で中国が被害者という一方向的な歴史観になりがちですが

実際は中国も中国大陸内の50以上も有る民族を

侵略して中国統一を行っている真っ只中で

当時の漢民族も広い意味では列強国と似た側面を持ち非常に複雑です。

 

つまり漢民族以外の民族からすれば

イギリスやロシア、フランス、日本も

漢民族も同じ侵略者と見える訳です。

 

なので被侵略者からすれば

どうせ占領されるなら、なるべく融和的で温情主義の侵略者が占領した方が良い

と言った感覚も有ったと思います。

 

もちろん侵略等されずにそのまま平和に暮らせる事が何よりですが。

 

それでも元々4000年も中国の地に住んでいる漢民族には

中国大陸の既得権が有り自衛の為の戦いが主たる戦闘目的になっている事は間違いありません。

 

 

さて秦始皇帝陵を見終えて帰る所で

ザクロを売っていたので買いました。

何だかやさしい味でした。

 

今日の夕食はいつもの麺です。

これも旨い!

 

という訳で今日で西安を離れます。

 

電車に乗って上海に向かいます。

今日の夜に電車に乗って

上海に到着するのは明日の昼過ぎです。

 

 

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