さてフィリピンセブのバジャウ村で、約3週間滞在して様々な方向からバジャウ族の彼らの生活や文化を
見てきました。
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そこで私が感じたのは、バジャウ族の彼らの持っていた元々の文化は急速に失われつつあるという事です。
例えば、バジャウ族の人達は元々回遊民族でした。
海を漂流して港で魚と米や、農作物等を物々交換して生活を営んでいました。
それが現在のバジャウ族は、陸地に定住化をしており
セブで使用されているビサヤ語を話す様になって、元々の言語であるバジャウ語も廃れてきている様です。
またこういったバジャウ族の近代化を推し進めているのは、キリスト教系NGOのIRIS‶(アイリス)という組織です。
ちなみに私はIRISのバジャウ族に対する支援、布教活動に関しては、手放しで賛成する立場ではありません。
それはこのままバジャウ族の人達に、近代化を進めてい行けば、間違いなくバジャウ族の文化は消滅する事は、火を見るよりも明らかです。
確かにバジャウ族の人達は、IRISの支援のお蔭で子供たちは学校に通う事が出来て、コンクリート造の建物に住む事が出来ています。
今のバジャウ族の若い世代は、ビサヤ語を学んでフィリピン人達と円滑に会話が出来る様になり
フィリピン人と仕事をしたりする事が、出来る様になっています。
つまりバジャウ族は、急速にフィリピン人に成っている訳です。
これに関しては、最も重要な事はバジャウ族の彼ら自身が、フィリピン人化する事を、望むかどうかという事に尽きるかと思います。
ただどこの少数民族でも必ずと言って良いほど、近代化した生活を見てしまうと、殆どの人達は
それまでの文化を捨てて、近代化した文明社会に馴染もうとします。
誰だって不便で退屈な生活よりも
バイクや自動車を持って、携帯電話やパソコンを使って
便利で快適な生活をしたい事は必然になるからです。
しかし、IRISがこれまでバジャウ族に対して、甚大な支援をしてきた事は偉大な実績で有り、それを否定する事は誰にもできません。
またバジャウ族の貧困問題の本質とはなんでしょうか。
これはバジャウ族が、現代の貨幣経済の社会に組み込まれてしまうと、近代化していない彼らの文化では
うまく貨幣経済の社会に適応できず
近代化した生活水準で比較してしまうと、どうしても貧困に映る面が有ります。
その貨幣経済の社会では最も重要な要素は
教育と仕事です。
その教育と仕事を獲得するには、現地のビサヤ語の習得と、フィリピン人の文化に対応する事が必要になってきます。
そういった事を考えると、バジャウ族の貧困問題を解決する手段としては、近代化というのは最も効率的な解決方法です。
しかし、私が思うのはそもそもバジャウ族の‶貧困‶というのは、どういったものなのかという事です。
バジャウ族の貧困とは、絶対的貧困では無くて、相対的貧困という点です。
これを混同している人が多く、元々バジャウ族は自給自足の生活をしていたので、食べるものが無くて餓死してしまう様な、絶対的貧困の状態では無いという事です。
そして今の現代人の生活と比較してしまうと、バジャウ族の生活はどうしても、相対的に貧困と見えてしまいますが、逆に言うとそれがバジャウ族の元々の姿でもあります。
そもそも、我々の生活水準と自給自足をしていた、少数民族を比較する事自体が、ナンセンスでは無いでしょうか。
そして少数民族にこれまでの文化を全部捨てさせて、支援をして大学を卒業させて、会社員に仕立て上げる事が、本当に彼らにとって幸せなのか。
正直私には未だにその答えが出せません。
ただ確実に言える事は、机上で理想論を言うよりも、現地に行って彼らに関わって、寄り添う事が大事だという事です。