インド旅行記 ブッダガヤ2 スジャータ村偏

私は早起きして1人で

ブッダガヤーの町を散策しに行く事にました。

 

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通りに面したチャイの店内に

昨日お寺で会った英語の流暢なネパール人男性がいました。

 

私は会釈すると、彼はこっちへ来いと手招きしてくれたので

隣に座るとチャイを飲んでしばらく話していました。

 

彼曰く、インド人とネパール人はパスポートの掲示も不要で

簡単にインド、ネパール間を行き来する事ができるとの事。

 

そして彼は

「あなたの顔はネパール人に似ているから、ヒンドゥー語さえ出来ればあなたもネパールに行けるよ」

と言われた。

 

ちなみに私はブッダガヤーではよくインド人から

ネパール人に顔が似ていると言われる事が有りました。

 

ちなみにネパール人の顔はインド人とは明らかに違います。

ネパール人の顔は堀が浅く、鼻も低く、肌はブラウン。

 

丁度モンゴル人に似ています。

 

 

私は8時30分にSさんとマークスと待ち合わせしていたので

そろそろ帰る必要が有り、別れの挨拶をすると

なんとそのネパール人がチャイ代金を払ってくれました。

 

私はお礼を言って分かれるとゲストハウスに戻ります。

 

約束の集合時間までにホテルに戻ると

Sさんとマークスを待つ事にした。

 

今日はこれから3人でスジャータ村のツアーに行く予定です。

 

スジャータ村のツアーはホテル等で聞けば手配をしてくれます。

 

私の場合はたまたま自分の泊まったホテルのロビーに

日本語を話すガイドが居たのでその彼にツアーを頼みました。

 

ちなみにツアーはオートリキシャで行くのと

バイクで行くツアーの2通りがあります。

 

オートリキシャの場合は確か1台

(1000ルピー)位だったと思います。

 

それを3人で割るので1人約330ルピー

 

バイクの場合は1台600ルピーなので

2人で乗れば1人300ルピー。

 

我々3人はどっちが良いか多数決をとる事にします。

 

日本人とドイツ人は同じ民主国家なのでやり易いです。

 

多数決の挙手をとると

オートリキシャに手を上げたのは私1人。

マークスとSさんがバイクを選択したので

結局私はそれに従いました。

 

マークスが遅れているので私はSさんと話していると

韓国人の若い男性が新しくチェックインして来ました。

 

そこでSさんが我々のツアーに誘ってみると

なんと韓国の彼も行くという事になりました。

 

彼が参加しないと1台のバイクは1人しか乗らないので

1人は600ルピーになる所を

これで我々は全員300ルピーという格安で行ける事になりました。

 

実際に出発するとバイクは予想以上に楽しいです。

当初私はオートリキシャで良いと思っていたのですが

バイクで正解でした。

 

風を感じながら広い視界で見る景色は最高です。

もしスジャータ村に行く機会が有ったら

絶対バイクがお勧めです。

 

最初の場所はトトロの木を見に行きます。

なんでも上からツルが下に伸びて来て

下まで来るとそれが太い木になると言う。

トトロの木を見終わると

山の上に在るブッダゆかりの地に行きます。

この山の上にブッダを祭っています。

ここを登っていきます。

 

登っていく山の中をくり抜いてこういう場所が現れます。

 

次にいよいよスジャータ村へ行きます。

 

しばらく走ってスジャータ村に到着しました。

 

またここスジャータ村の人達は

昔ながらの農業を営んでいるらしくこの辺りでも

特に貧しいとの事でした。

 

子どもたちはとても人懐っこくて可愛いです。

私は飴の袋を30ルピーで買って

30個位は入っている飴を子供達に配りました。

皆本当に素直な子達です。

 

この方は先生でしょうか

何とか全員に飴を渡す事が出来ました。

 

またここスジャータ村には

沢山のお年寄りのホームレスの方々も居ました。

 

中には大人の方も手を出して来たので

何人かのお年寄りにもあげました。

 

それにしてもこの村の住民の方たちは

ニューデリーやバラナシと違い

のびのびと穏やかに生きているという印象です。

 

これはスジャータストゥーパとか。

スジャータ村に言い伝えられている話で

ブッダが弱った時にスジャータと出会い

元気になったという伝説が像で再現されていました。

 

スジャータとブッダの像はスジャータに会う前のブッダは

骨が見える程にガリガリに痩せていて

 

スジャータと会って乳粥を飲むと

マッチョマンの様になっています。

 

 

スジャータ村の観光を終えると

私が乗っているバイクとは別のもう1台の

バイクの運転手が仕事をしているという

学校に何故か行く事になりました。

 

私は予定に無い行先に違和感を覚えながら

少し走って学校に到着しました。

 

その学校には沢山の小さな子供が居て

恐らくは2歳から7歳位だったと思います。

そこで私は子供達と戯れたり

ABCの授業をしたりと楽しかったです。

何でもNGOで世界中の人間が寄付をして

学校を運営しているとか。

 

学校の脇にある井戸は

日本人女性が寄付して作ったという事でした。

 

そこにはしっかりと日本人女性の名前が記されていました。

 

私は同じ日本人として鼻が高い思いでした。

 

しばらく子供と話していると、Sさんがやけにシビアな声で
「もう行きましょう」と言って来ました。

 

私は立ち上がって村を後にしようとすると

教師の男が紙とペンを持って来て私に
「ドネイション(寄付)をいくらするか?」と言ってきました。

 

私は「主義に反する」と断ると

気になって他の参加者にも聞くと

やはり皆も"寄付はしなかった"という事でした。

 

結局はビジネスになってしまうのが何だか

白けてしまうのですがこの人達は詐欺師達とは違います。

 

ですがあえてここで書いておきますと

こういった寄付の類は支払ったお金が、本当にどういうふうに使われるかを確認する事は本当に難しいです。

 

ユニセフやグリーンピースに寄付したとしても

あれだけ大きな母体を運営する為のコストも大きく

専属のスタッフの経費等にも寄付の原資が消費されるので

寄付した金額の内どれだけの割合が

困窮者に行き届くのかは疑問です。

 

1度本で読んだ話ですが

アフリカのある村で奴隷解放の為に寄付をするという事があって観光客はそこでお金を寄付すると、アフリカ人達は開放される訳です。

しかしその後調べてみると、同じアフリカ人達が毎日同じ場所に来て、誰かがお金を払っては、また帰るという。

 

実際はそのアフリカ人達は奴隷でもなんでも無くて

現地の人はそこに行けばお金を貰えると言われて、ただ行っていただけだったという。

 

結局のところは通訳の人間がそのビジネスを仕切っていたというからなんとも笑ってしまいます。

 

その他にもあの高頭菜穂子氏の本でも

イラク戦争の際に"放射性廃棄物"である

イエローケーキと呼ばれている

汚染物質の撤去を現地の某有名な慈善団体に何度も頼んだそうですが、何時まで経っても一向に対応せずに

その後グリーンピースが撤去したとか。

 

つまり無知な善意を良いビジネスチャンスに変える輩は居るという事です。

 

それらいくつかのエピソードを知ってしまうと

私の主義は寄付は絶対にしませんが、困っている人に直接食べ物をあげたり、アドバイスをしたりは積極的にします。

 

 

私の乗っているバイクのガイドに

「何でここに連れて来たんだ?」と聞くと

「これはもう1人のガイドの仕事だから自分には何も言えない」との事。

お互いの領域をしっかりと守っている訳です。

 

始めは楽しいスジャータ村のツアーだったのが

最後に予定には無かった学校に連れて行かれて

寄付を要求されるという何とも苦い終わり方となりました。

 

 

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