インド 燃える大地ジャリアへ 移動偏

さて私は今回インドに来た最大の目的である

100年以上燃え続ける大地が在るジャリア村に行く為に

情報を集めます。

 

もちろんジャリア村はガイドブック等には一切乗っていないので、現地で情報を集めます。

 

私はすぐ隣のツーリストインフォメーションセンターに行きました。

 

スタッフの話によるとどうやらジャリアは

ビハール州)では無く隣の

ジャールカンド州)に変わったのだとか。

 

しかも(ブッダガヤー)から200キロ以上は有ると言う事でした。

例の酒好きガイドの好意で、ジャリア方面のバスに乗る場所まで彼のバイクで連れて行ってくれる事になっています。

ガイドのバイクでバスが来る所まで行くと

そこにはバス停も何もありません。

 

ガイドにバスの乗り方を聞くと、バスに乗るにはただ走っているバスを見つけて、手を挙げて乗らなければならないとの事。

フィリピンのジープ(ジプニー)に少し似ています。

 

ジャリア方面に行くバスを待っていると中々該当のバスが来ず、結局1時間近く待ってやっとバスに乗る事が出来ました。

ガイドには50ルピーをチップで渡しました。

 

このガイドにはビールを買わされたりもしたのですが、結局こうして助けてもらったのでとても感謝しています。

彼が居なかったらジャリア行きのバスを探すのは苦労した事でしょう。

 

だがそのバスは直接ジャリアには行かず
(ハリヒ)まで行ってそこから、1度乗り換えをしなくてはなりませんでした。

 

バスの空席を探していると、上の寝台席に1人分の空きが有り、幸運にも私は横になって移動できる事にななりました。

早速私は寝台席に滑り込み、同じベッドのインド人の子供と一緒に横になります。

 

その子は10ルピーでトウモロコシを2つ買うと、1つ私にくれました。私はお礼を言って美味しく頂きます。

 

またバスは強烈な揺れで、最初上体をあげて窓の景色を眺めていたですが、すぐに気持ち悪くなって寝てしまう事にします。

 

私は横になって眠っている時に、乗務員がバス代を回収しに回って来たらしく、隣の子供が私を起こしてくれました。

 

私は急いで起きると乗務員は既に運転席の辺りに戻っていたので、私は乗務員の肩を指で叩いたのですが
彼は1度振り向いて何故か再び運転席の方に行ってしまいました。

3時間半程バスは走ると乗り換え時間が迫ってきていたので、私は必死にバスの乗務員にジャリアへの行き方を乗務員に聞くと

彼は身振り手振りで
「1度反対方面に歩いて最初の大通りを右に曲がった道路で、ジャリア行のバスに乗り換える」という事を教えてくれました。

私は既に全く分からない場所に来ていたので
必死に聞いてバスを降りると結局お金を払っていない事に気づきました。

私はなんとなく罪悪感を覚えました。

ただすぐに次のバス停の場所と時間を確認しなければならず
私は言われた通りに歩いて行きます。

そしてその場所まで来ると、やはりそこにはバス停らしき物がも何もありません。

▼ハリヒ

少し途方に暮れた私は近くの人に聞いてみるとやはり
「ジャリア行きのバスは来るから待っていろ」と言う事です。

日本ではバス停には必ず停留所と解る看板が有るものですがここはインドです。

看板1つ無いので、その場所にバスが来る事を知っていなくてはなりません。

逆に言えばバス停が無くても、"路線バスの運行は可能"と思ったりもしました。

 

ただ困った事に掲示版の類が無いので、一体何時ジャリア行のバスが来るのかがさっぱりわかりません。

 

そこでジャハールカンドのマップを通りのお店で探すと、ヒンドゥー語版ですが手に入れる事が出来ました。

その本屋のおじさんにジャリアと現時点であるハリヒに印を付けてもらいました。

ヒンドゥー語が読めないと言っていた

カフェげんきの店主の言っていた事がよくわかりました(笑)

 

どうやらジャリアに行くにはここハリヒから
さらにバスで3時間程行くとの事です。

 

そこで私は初めて位置関係を掴むと、方位計で次のバスの進行方向を確認できました。

日本でもそうですがバスは進行方向側の通りで待たないと
客は居ないと判断して行ってしまうからです。

 

結局ハリヒに着いてから30分程した頃、赤いバスがたいして速度も落とさずにやって来ました。

私はもしやと思って手を挙げるとバスは減速し始めます。

私は走って乗務員に
「ジャリア?」と聞くと、乗務員は顔を頷いて乗れとの事。

バスは停車もせずに私を乗せると再び勢い良く走り出しました。

 

何とかジャリア行のバスに乗れた事でホッとして、乗務員に到着時間を確認すると3時30分との事です。

到着時間が分かった事で後はバスに乗っているだけとなり、私は安心してバスの先頭のドライバーが居る席に座ると、これからあのジャリアへ行けるのかと興奮を隠せませんでした。

イギリスの公共放送であるBBCで見た異国の地に、自分が向かっている。

 

ガイドブックにも乗っていない非観光地に行く事は、私にとって世界遺産のタージマハルへ行く事の100倍もワクワクします。

 

乗務員が料金を回収に来たので私は
「ジャリア」と言うと(100ルピー)でした。

途中昼休憩らしくほとんどの乗客が一斉にバスを降りて、レストランに到着しました。

 

レストランの店内には既に3つ、4つの食事が盛りつけてあり、そこにはハエが20匹程たかっていて、これを食べるのかと思うと、一瞬気が滅入ったんですがここはインドです。

郷に入っては郷に従え"この時ほどこの言葉の意味を理解する日は有りませんでした。

皆何の疑問も持たずに食べるのだと思うと、後は料理を味わおうと決心しました。

その食堂ではほとんどみんな同じ物を食べています。

それは大量のご飯にカレーとサラダのプレート。

ボリューム満点で完食は出来なかったものの意外にも美味しかったです。

会計でいくら支払うのか分からずに、注文する時に聞かれた「ライス」とだけ言うと、注文を取った従業員がなにやらライスの数を説明しています。

どうやらお替りしたかどうかということらしいです。

そして金額が分からないのと、ここで英語で値段を聞いた所でしかたないと思い、ただ
(100ルピー)を渡すと、何と80ルピーのおつりが帰って来ました。

あれだけのボリュームと結構味わい深いカレーにサラダがちょこんとついて、たったの

20ルピー

これはかなり驚きました。

 

日本円で40円。日本であれを食べたら600円位でしょうか。
普通に考えて日本の15分の1です。

安すぎる……。

 

私は満腹になってバスに戻ろうとすると

何と既にバスが私以外の乗客を乗せ終えて発車しようとしています。

私は乗り遅れてはまずいと走り出すと何とか乗る事が出来ました。

それにしても食事休憩が短すぎます。

約10分位でしょうか。

 

その後何度かトイレ休憩がありました。

 

この時感じたのがトイレ休憩は男や子供ばかりが下りて女性は下りてきません。

トイレ休憩と言っても別にちゃんとしたトイレが有る訳ではなく、バスが道路の端に停車してその道路脇で用を足すだけなのです。

なので女性の場合は子供以外は外で用を足せないのでしょう。

 

前に何かの記事で読んだ事が有りますが、インドの女性は外に設置してあるトイレが少ないので、出先では余り水分を摂らず尿意をもよおしても我慢するとか。

 

バスもしばらく走ると、私は乗客に

「ジャリアはまだか?」と聞くと彼らはとても親切に到着時間を教えてくれました。

そしていよいよジャリアと言う頃に、何やらヒンドゥー語でドライバーに話しかけられました。

恐らくジャリアのどこで下りると聞いている様です。

 

私は「ゲストハウス」と言うと理解してくれたようでメインロードのところで降ろしてくれました。

彼らは本当に親切でした。

 

 

次の記事はこちら

インドの燃焼地帯 ジャリア編 1

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